カテゴリーアーカイブ: indomnia 2004

昨日は休みだというのに休暇をとるために休日出勤していた。

自宅に戻り、ふとしたきっかけで自分の過去の日記を読み返していると様々なことに驚かされる。そのなかでも今の自分が集約されている2000年の10月19日。ボクはこの日、World PC ExpoでMac OS Xのインターフェイスを初めて見ておきながら、『彼女について私の知っている二、三の事柄』を見ている。

なんだろう、このコントラスト。Mac OS Xに関しての記載に間違いがあるけれど、ボクはこの日の自分を2006年の視点から見るとハッとしてしまった。どちらにもものすごく影響を受けている。情報とは何なのか?インターフェイスとは?デザインとは?世界とは?

その他にも色々あったけれど、こうして日記を読み返していると1ヶ月の濃度が全然違う。その時の情景が読んでいると簡単に甦ってくる。Ivyとか好きだったことすら忘れていて、久しぶりに聞きたくなってiTMSでIvyの新曲を買ってしまった。それを聞きながら今、これを書いている。

つい2、3年前の気分でいた出来事や、音楽などがすでに6年の歳月を経てきていることに対する驚きは日記を書いていなければ味わえなかった。それにしても、仕事を始めると、1日の濃度はこうも違うのかと思ってしまう。

仕事をすること、生業をもつと進化のスピードは非常に緩やかだ。
この対談を読んでいるとゴダールの『アワーミュージック』がみたくてしょうがない!

久しぶりの投稿。
結婚式が終わり、パーティが終わり、ようやく私生活は一息ついた。もうああいうことはやりたくない。人生で一度だけやればいい。

なぜか最近怒りまくっている。

私生活では全然そうではなく新婚気分なのだけど、ことに仕事に関して。条件は悪くない。ただ環境が悪いのかな。モチヴェイションの違いなのか、なんなのだろうか。

午前3時を回り、アイデアが浮かばず仕事がはかどらず悶々としながらトイレでWeb系の雑誌を読んでいると、自分が手がけたページがいつの間にか掲載されていて、ハッとしてしまった。随分前の仕事で、CMS系のコンテンツ導入記事なんちゃらだったけど、そのインタヴューに出ている人は一体何をしたのだろう。といったところで。

そこにはデザイナーのクレジットは無く、まぁ別に愛着があるわけではないからいいのだけど、そういうものは下請けだとずっと伏せられてゆくのだろうなと思いながら、まぁいいかと考える。もう随分前の仕事だし。でもその雑誌も昨年の夏のもので、掲載されるんだったらせめて一言ぐらい声をかけてくれよ!とか思う。それは直近のディレクターが声をかけてくれなかったのか、その上のインタヴューされてるエラそうなオッサンがシカトしてたのかわからないけど、何だか寂しい気がしてくる。

別に自分誇示したいわけではなかったのだけど、最近そういう欲がだんだん芽生えて来ていて、裏方が好きだったはずなのに、裏方だけでは何もうまく行かないことがわかって来た。それで最近はよく怒っているのだと思う。

社長に怒りはどこかノートに書いておけば静まるよ。などと言っていた。昔、そんなに怒りを持たなかったのは毎日のように日記を書いていたからなのか。

2004年以後の人は知らないこのblogを毎日更新するモチヴェーションを維持しなければ。と思う。

気がつけばもう2006年になっていて、前回のエントリーから4半年過ぎてしまっている。その間にはさまざまなことがあった。

その第1は結婚したということ。

ボクのことをよく知っている人なら信じられないかもしれないが、事実。子供もできてしまった。まぁ、できちゃった婚といえばそうなのだけど、ボクが結婚する唯一の手段だと思う。子供がいなかったらいつまでも結婚はしなかったと思う。彼女と同棲はしていたけど、結婚はまるで頭に思いつかなかった。むしろ彼女の方が結婚願望が強かった。

それでも、子供ができることは少なからず嬉しいことで、今は男か女かもわかっていないけれど、わくわくしていて、子供の名前を果たして何にしようかと漠然と悩んでいる。

結婚指輪はまだ買っていない。彼女も欲しがらないのだ。結婚式と親戚を集めての披露宴が今一番の悩みの種で、果たしてどうなることやら。

ラジオを聞きながら仕事を深夜遅くまでしていると、ついつい聞き入ってしまう番組もあったりして、J-WAVE「リリー・フランキーのTR2」はなぜだか、作業するには打ってつけの番組ということになってしまった。

リリー・フランキーの妙に落ち着いたトーン、めめたんこと安めぐみのヴォイス、ゾノネムの笑い声、そのどれもが邪魔にならないくらいの適度のバランスで、作業に没頭しつつ、90%を占める下ネタの内容に聞き込むことができる。

そんなリリー・フランキーが青山ブックセンターでサイン会をやるという情報を偶然ウェブで知って、ワザワザ出向いて遠巻きに観ていたのだけど、その時は結局中島らも「心が雨降りする夜には」を買って帰ってしまったのだけど、ずっと気になっていたので、レンダリングが終わらない土曜日の昼間に購入して、ちょくちょく読んでいた。

この本は泣く。という評判は帯の田辺あゆみのコメントでわかりきっていたし、途中まで読んだ時点でこれは泣く。というムードを感じとっていた。仕事の合間に読んでいたのだけど、だんだん夢中に読み進めてしまい。月曜日の午前5時、読了を目前に家で大泣きしてしまった。最後の一行のところで丁度彼女が目を覚まして、どうしたの?と声をかけてくるも、まだ泣き止むことができない。思い出しては何度も泪がこみ上げてきた。多分、少し自分とダブるところがあるからも知れない。それは「東京」と「大学」いうキィ・ワードについて、やる気のなかったネガティヴな自分という部分で。

この本を読了して、なぜかもう長く話をしていない弟に送りたくなった。だけど、こんなことを思うのはきっと長男だからなのか、と思ってしまうけれど。

いつも聞いているラジオでの彼はまるで違う。ラジオは今週で終わってしまう。なんだか寂しいけれど、仕方のないことだと、ドリフ大爆笑の歌詞をなぜか思い出してしまった。あそこのフレーズは子供ながらに寂しい気持ちになったのをボクはまた今、思い出した。

その後の日曜日

彼女に連れられ東京都現代美術館にイサム・ノグチ展を観に行く。ちょうどsudo氏もヒマだということで、同行。

ひととおり回ってみたあとのボクの感想は物質と景色にこだわった芸術家という印象で、それはエナジー・ヴォイドを実際にみたからそういう科白が出てくるのかもしれない。

イサム・ノグチは広島の原爆慰霊碑を作ったヒト、という前知識しかなかったけれど、あの慰霊碑にしても、今回の展示物にしてもマテリアルの中から彫刻物を作り出してゆくという感じが伝わってくる。彼の作り出してきたオブジェは何かを語りかけてくるようだ。そのメッセージはほとんどボクにはわからず、注釈を見るに留まったけれど、彼の残した言葉には

創作物は未完成でいい。あとは周りの気候、あるいは子供たちが作りあげてゆくものだから、というような正確な引用は今できないけれど、そんなメッセージがあった。マテリアルとともにそれはランドスケープデザイナーでもある彼の思想に続いて行きそうな気がする。

ボクはまだ彼のほんの一端しか触れていないので、勘違いしている部分も多々あるかとは思うけれど、それはボクの解釈であって、何も参考文献を読みあさってまでもタイプする文章でもないし、時間も無いので、こういった感想文ができあがった。

その後、葛西橋通り沿いのレッド・ロブスターで3人で食事して、ボクは仕事に舞い戻る。
藝術が素晴らしいのはどんなふうにも解釈できるからだ。と、上司が言った。

この文字をタイピングしている現在から遡って丁度1週間前の土曜日
先々週の土曜日

彼女の友達がベリーダンスをやっていて、それを観に行こうということで、向かった先は下高井戸。
下高井戸という地名は以前から耳にしていたし、映画ファンなら下高井戸シネマという文字をどこかで必ず目にしているはずだし、高速情報でよく下高井戸インターという響きを耳にしているはず。

下高井戸の駅はそれほど普通の整備されている駅で、何とも思わなかったけれど、北口をおりたところにある市場に少しビックリ。ここにもあった、東京のカオス。という具合で、今度ゆっくり訪れてみたいという気持ちになる。その市場を抜け、甲州街道に出て、徒歩7、8分のところにあるそこは、以前倉庫だった場所を港区にありそうなクラブに変えた感じのもので、この感じを久しぶりに下高井戸で味わうとは思ってもいなかった。

中ではプロジェクターでおそらくトルコのホームヴィデオが流されている中、クラブ風な音楽がバックで流れているという感じで、飲み物はもちろん、フードサーヴィスも一律500円で揃っており、なかなか楽しそうなところだった。DJブースは見当たらなく、今回はベリーダンスを演るステージがスペースの大部分を占めていた。奥の方にはちょっと高そうソファがいくつかあって、本棚がその奥にあって、何冊か本も読めるという感じで、こういう類いのイヴェントが苦手な人もそこで寂しそうに本でも読んでいればなんとかなりそうな配慮なのか、兎に角スペースが広いのですぐ上の階は屋上になっていて、ビヤホールもやっている。そこから眺望できる新宿副都心は新しい東京の風景としてボクの中に刻み込まれた。

ひとしきりそこで過ごした後、新宿のゴールデン街「クリシュナ」に行くと、オウナーの山本(旧姓)さんに「あれ?さっき下高井戸にいたでしょ!」と会うなりいきなり声を掛けられた。なんと山本さんもそこにいたという。ベリーダンスのその会場は確かに女性が多くて、人気があるらしく、彼女のblogにもベリーダンスをやっている云々が書かれていて、もしかしたらいたりするんだろうな。と思ったけど、ボクは全く気づかず、山本さん曰く気づいていたけど、別人だったらいやだから声をかけなかったんだと。

それにしても年に数回しか行かないのに、なぜボクの事を覚えていてくれるのだろうか。ボクが連れてゆく他の人は全く覚えていないとか言うけれど、それはリップサーヴィスとしか思えない。

しばらく家に戻っていなかったせいか、投票所のご案内というものが届いていなかったことに当日気づく。オレの選挙権はどこに行ってしまったのだろうか。それとも選挙権を誰かが奪い去ってしまったのだろうか?結局投票には行けなかった。

とにかく、今回の選挙は特に開票速報番組など見ずにインターネットの記事での印象を伺うと、やはりというか、予想通り自民党が圧勝してしまった。それは多分、郵政民営化という明確なコンセプトがあったからだろう。それは多分、マニュフェストではダメだったのだろうと思う。高齢化社会における日本で 60代や70代にマニュフェストという言葉は響かない。まぁ、逆に20代に選挙公約という言葉も響かないと思うが、どっちが馴染みやすいかと考えれば、それは目を見るより明らかだ。マニュフェストという言葉に政策戦略が埋没してしまって、何を押し進めたいのかがわからなくなってしまうのだと思う。

時を同じくして、ソニーはなぜ、音楽配信事業で苦戦しているかということを考えた。それはソニー自体が複雑化しすぎているからだ。そして、ソニーが何を今、売りたいのかが見えにくくなっている。とボクは思う。ホームページを見るとそれは明快で、例えばソニーをGoogleで検索した時に一位で登場するのはsony.co.jpでコーポレイトサイトが現れる。そこからウォークマンのページへたどり着くには何ステップ必要で、ユーザーがどれくらい頭を悩ませればいいのか。一歩譲って、sony.jpにたどり着いたとしよう。そこではVAIOのFLASHバナーがあってウォークマンはかすんでしまう。iPodで成功したApple Computerと比べればわかる。本当にシンプルで、アップルは何を今、売りたいのかが、明確なだけなのだ。

同じ分類としてボクが嫌うのはテレビ局のページで、なぜあそこまでわかりづらくなってしまっているのだろうと思う。情報を乗せ過ぎなのだ。おそらく担当者の好みと、横並びのデザイン嗜好なのだろうと思うけれど、あれでは何を伝えたいのかはっきりわからない。

結局今、自分がどうしたいのか、何を売りたいのか、ということを明確にしなければ、マスの世界では伝わりづらいということなのではないだろうか。電化製品でボタンがたくさんありすぎると操作に困るようにウェブサイトも同じ、選挙戦も同じなのかもしれない。

鈴木宗男が当選してしまう現実をボクはどう受け止めればよいのか?
おそらく、既得権益層が支持層にたくさんいる現実なのだろう。ま、わからないけど。

仕事がたくさんある。

それについては喜ばしいことだけれど、なんだか不安でしょうがない。本当に終わるのだろうか。ということより、景色を眺めていないことに。

週末で休みだと言うのに会社に寝泊まりしてばかりいる。何日続いているだろう。風呂に入りたいから近くの銭湯にでも行こう。ずっと会社にいるとオン/オフがつけられずに結局ダラダラしてしまいがちだ。一人というのも全然気が引き締まらない。

昼過ぎに東銀座の本屋で本を2冊買う。村上龍の『ハバナ・モード』とリリィ・フランキーの『東京タワー』。村上龍はすぐに読了してしまった。昨日からずっとG5はShadeで作ったデータをレンダリングしている。アニメイションで見せるために、何コマもレンダリングを細かくやらなければならない。そんな時は読書をしている。それでも他の仕事は残っているのだが。レンダリングの時間が読めない。642コマをレンダリングするのに16時間もかかっているというのに、あと980コマくらいレンダリングしなければならないというのは恐ろしい。本当に月曜日に間に合うのだろうか?

週末の築地は閑散としていて、この時間は本当に人気が無い。iTunesMusicStoreでヒマつぶしに曲を買ってしまう。全然集中できない。リリィ・フランキーが面白いので、このまま読み続けることにしよう。

なんだか忙しくなってきてしまった。おそらく10月まで仕事にどっぷり浸かりそうな気がする。

moog氏が亡くなった。感慨深いものは今はまるでないけれど、つい先週末あたりにmoogのドキュメンタリィDVD(キィ・ホルダー付)を買ったばかりなので、変なシンクロニシティを感じてしまった。多分DVDを観たら感慨に耽るのだろう。それでも観る時間が無い。一緒に買った大阪万博のDVDも観るチャンスがないのだし。

moogを知ったのはもちろん小室哲哉氏の影響だけど、あのツマミ系は昔から欲しかったシンセだった。とにかく本物を観たのはトーキョーにやってきてからだけど、田舎町でキーボード雑誌の広告に載っていた価格を観てまだまだボクには手の届かないものだという高価なシンセで、しようがないから当時ヤマハが出たCS1Xというツマミ付きの安いシンセをバイトで買ったものだ。それでもかなり楽しかった。だけれど、moogだったらもっと面白いんだろうなぁとも思っていた。

土曜・日曜と会社で作業。G5とシネマで全然苦ではない。それでも未知数のCGソフトをいじっていると煮詰まりまくり。っていう感じがする。上司と二人で土曜日は会社に出勤していたけれど、全然仕事にならず、上司が隣の会社から借りてきたドリフのDVDをかけてさらに仕事にならない。ウェッブで参考になる文献を探していると良さそうなものがあって、銀座のブックファーストへ行く事にする。

道中、久しぶりにナイルレストランでムルギーランチを食べたくなってしまい。夜なのにひとりでランチを食べていると、すでに銀座は21時を回っている。それで急いで書店に向かうとガムの噛み過ぎでおなかが緩くなってしまい。トイレへ直行。慌ただしく探しはじめて内容に目を通す、目当ての本は見つかるも、かなり高度。やさしそうな別の本を購入し、帰社。上司はすでにおらず、なんだか気が抜けてしまい、関係のないことばかりしてしまう。彼女へ電話をしても繋がらない。

みうらじゅんと安斎肇のTR2を聞きながら他の仕事も少しこなし、朝6時に就寝。さっき彼女の電話で起きて、昨日買った本を元にチュートリアルを行う。わかったようなわからないような。言われた通りにやればできるのだけど、基本原則ができないと、その場その場に対応できない気がする。Small Circle of Friendsの「太陽」が終わったので、今はUnderworldがかかっている。それもPerl’s Girl。

音楽の趣味が固定されてきてしまっているが、最近は会社のJ-WAVEのおかげで、日本語の曲をよく知るようになってしまった。

会社のMacがG5になった。

Dual2.3Ghzでメモリは2.25Ghz積んでいる。もちろんDual CPUなので計4.5Ghz。凄まじく快適になってしまった。そしてディスプレイはシネマの20inch。HDではないけれど、おそろしく奇麗に表示されて、この美しさだけでもモチヴェイションが向上してくる。

そしてTigerの検索スピードの速さ。G5だからだろうけど。DashBoardのWidgetのエフェクトもなんなく表示され、 QuickTime7のHD Galleryのムービーも高解像度でスラスラ滑らかに表示できる。起動もあっという間だし。フラッグシップな環境の快適さというものはこういうものだろうか、と想像する。

今日は会社に行く途中にG5に搭載していなかったBluetoothモジュールを買いに行く。初めに内蔵にしないと、外付けにするしか選択肢がないらしい。これでこの前購入したワイヤレスキーボードが使える。そしてマウスもUSBだが、ワイヤレスで、光学式ではないレーザー式のものに買えた。マウスパッドは不要になった。

それで今、休日だというのに作業をしているのだけど、快適でしょうがない。しばらく触れていないとなんだか触れなくなっていたFlashも今日は愉しくのめり込むように使えてしまう。昔、OS 9時代のG4の快適さを上回ったような気がする。それはフォントが奇麗だからというのもあるけれど。ここ最近Mac系の雑誌にはG5に移行を進める記事をよくみかけていたけれど、ここまで快適だとは思わなかった。シネマがその快適さを後押ししているからかもしれないけれど。

これでしばらくは会社に籠ってもいいかも…。なんてささやきが聞こえてくるようだ。